2009年07月01日

エナン私的観戦記(20)

ウインブルドン2009真っ最中。昨年はふて腐れて女子の試合は見なかった。男子のファイナルしか記憶にない。
今年は伊達のウオズニアッキ戦を楽しんだ。シャラポアの負け試合とかサフィナのモレスモー戦、リシツキ戦の第1セットと第3セットを見た。モレスモのテニスは今の女子テニス界にあっては貴重である。勝てそうだったのに負けてしまった。
女子のベスト4のメンツはセレナ、ビーナス、サフィナ、デメ。ベテランと中堅どころ(サフィナ)の4人ということで、なかなか若手のブレイクスルーがないのう・・。女子の注目は今も、ウイリアムズ姉妹の牙城を誰が崩すかの1点にある。

エナン観戦記は2006年からこのブログにかなり詳細に書いているので、重複するものも多いと思うが、また書いた。

■2006年 オーストラリアン・オープン

 私は2006年のエナンが好きだ。今でも好んでこの年のビデオを見る。理由は単純に体型が私好みだから。2004年からパット・エチェベリー効果で、かなり筋肉がムキムキしてきたのだが、この年のエナンは一回り細くなって登場した。パット・エチェベリーとのコンビを解消し、新たなフィットネストレーナーをつけて考え方を変えたのか、それとも単に肉が落ちただけなのかわからない。

 2006年はシーズン通して戦った数少ない年でもある。
 エナンは1999年5月にプロデビュー。一年通して出場できたのは2001年〜2003年の3年と2006年。実は4年間しかない。(2006年も秋のシーズンは右膝の怪我で欠場している。)

 ヒンギスの復帰もあって年初からワクワクだった。始めの大会はシドニー。そして初戦の相手がヒンギス。ダウンロードしたビデオで見たが、いい試合だった。宝物だ。
 オーストラリアン・オープン2006は、いい大会だった。決勝戦までは。ベスト8にデメを除くナンバー1シードから8シードまでが残り、そのデメの代わりはヒンギス。最高のメンツが揃い、女子の方が男子よりも話題性が高かったぐらいだ。こういうグランドスラムは実は珍しい。
 エナンは第8シード。優勝候補ではなかったと思う。休業明けだったから。エナンが優勝候補として喧伝されなかったのは、実はこの大会が最後だろう。で、優勝候補は誰かというとシャラポア、キム、ダベンポートあたりだったのかな? とにかく優勝候補云々よりウエルカムバ〜ック・ヒンギス! で大盛り上がりしていた。
 久しぶりのライブで動くエナンが見られるだけで私はうれしかった。優勝まで期待していたかどうか覚えていない。ただこの頃はもう、エナンに期待するものは優勝だけだったような気がする。


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2009年05月07日

エナン私的観戦記(19)

そろそろエナンのラストゲームから1年だなと感傷に浸っているところ、今年はベルリンの大会はスケジュールになく、今ローマの大会中。奇しくもと言うか、今はサフィナがナンバー1。一年経って、この変わりよう。シャラポアの復帰を楽しみにしているが、クレーシーズンにも姿を現さず、WTAの試合を見ることは最近とんとありません。

エナンは着々とさまざまなオファーを受け、ユニセフ大使を引き受けたり、テレビにコント(?)出演をしたり、メディアの露出は意外と多いです。

■2005年 

●1月〜フレンチオープン
 1月、始めに入ってきたニュースは、エナンのオーストラリアン・オープン欠場だった。右膝の骨折。micro fractureだから、ヒビといったところか。12月中、フロリダでのレーニング中のものだった。約4ヶ月ぶりの復帰、何よりディフェンディングチャンピオンとしてのAO2005はこうして流れた。体調が回復したのかどうかハッキリしたコメントもなく、AO出場に一抹の不安を抱いていた中、膝の怪我という、また新たな不安要素の出現だった。
 2004年9月から2005年3月後半までのエナン不在の7ヶ月は、私にとって長いテニス空白期間だ。AOで覚えているのは、セミのセレナ対シャラポアの凄い試合だ。
ダベンポートとモリクのクオーターファイナルも見ていた。私が初めてダベンポートを応援した試合だった。この頃からなぜかダベンポートを応援していた。決勝でもダベを応援していて、セカンドセットで勝てそうだったのに、1本の凡ミスからあっさり逆転された。セレナにとっては2003年ウインブルドン以来、復活を遂げた優勝だった。

 2月の地元アントワープでキムがツアーに復帰。3月のインディアンウエルズで当時の1,2,3を破って優勝を飾る。そして3月後半のマイアミでエナンが復帰。ふたりのベルジャンが同じ時期にツアーに復帰を果たしたのは、これまた偶然というのか奇遇というのか。エナンがもっとも相性が悪いと思われるマイアミを復帰の舞台に選んだのは意外な感もしたが、当時はフロリダベースだったからだろう。

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2009年03月07日

エナン私的観戦記(18)

3月のインディアンウエルズにもシャラポワはリターンしないらしい。女子は再度ウイリアムズ姉妹の時代になるのか? なんだかなあ。
エナンのニュースをひとつ。12月の地元シャルルロワで毎年やっていたエキシビに参加するという。キムもウインブルドン(?)のエキシビ試合に参加するという話だ。


■2004年4月〜

 3月のマイアミにセレナが戻ってきた。そしてそのままサクッと優勝してしまう。セレナ・リターン! いよいよ役者が揃う。ワクワクの春だった。
 そのマイアミをエナンはスキップしている。エナンにとってあまり優先順位の高い大会ではないし、インディアンウエルズで優勝した後だったので、ぜんぜん気にならなかった。
 絶好調のまま迎えたクレーシーズンは、ティア2のアメリア・アイランドから始まった。そのセミでエナンはモレスモに逆転負けをしてしまう。第2セットで1本、マッチポイントを逃しての逆転負けだった。その敗戦の直後だった、あのニュースが飛び込んできたのは。
 LOW BLOOD SUGAR。始めのニュースでは、そう報じられた。低血糖症って何だ? 血中の糖分が不足しているってことか。疲労感が激しいという。続く出場予定だったチャールストンは、前年、セレナを破って優勝を飾った記念すべきチャールストンは欠場になった。
 低血糖症という診断は、やがてmononucleosis---単核細胞症とかいうウイルス性疾患らしいと判明。私は初めて聞く病名である。家庭医学大全科にも載っていない病名だ。原因は特定できないが、エナンの場合、極度の疲労からだろうということだ。免疫系統に異常が出るらしい。とにかくすぐ疲れてしまうので、とてもテニスができる状態ではないという。
 何が起こっているんだ? 絶頂期に突然、エナンは病に倒れた。

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2009年02月08日

エナン私的観戦記(17)

 オーストラリアン・オープンが終わっています。セレナがサフィナに圧勝。10個目のタイトルをゲットし、ナンバー1返り咲き。女子も終わってます^^; メディアの論調も「シャラポアもいないエナンもいない女子テニス界は・・」といったものが目につきます。シャラポワ・カムバーック!の声がこんなに高くなったのは注目すべきことででしょう。私も同じ気持ちです、シャラポアはよ復帰せんかい! 3月リターンの予定だそうです。


■2004年オーストラリアン・オープン

 しょっぱなのシドニーでモレスモを破って優勝したエナンは堂々の第1シード、優勝候補ナンバー1でメルボルン入りした。大会が始まる前から焦点は、第2シード・キムとの優勝争いだった。そのキムはヒューイットとの婚約を発表、近い将来に地元となるオーストラリアでグランドスラム初優勝を大いに期待されていたわけだが、直前のシドニーで左足首を捻挫。やや不安含みとなった。
 初日初戦の放送はなく、短いクリップが流れただけだが、真っ赤なウエアを着たエナンの身体が見違えるほどマッチョになっているのに驚いた。1年前のオーストラリアでも脚がぶっとくなっていてショックを受けたが、この時はその比ではない。エナン初めてのノースリーブだったのだが、そのせいかムキムキの腕に厚くなった胸板がやけに目立つ。脚もガッチリ。赤いウエアはエナンだけのナンバー1仕様だったのだが、見るからに強そうだった。思えば、このウエアを着ていた頃が怪我や病気の心配もない、イケイケドンドンの最強の時代だった。
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2009年01月15日

エナン私的観戦記(16)

オーストラリアン・オープンの予選が始まっています。なあんと伊達さん、17歳のロシアの選手を破って1回戦突破! そんで他の日本女子は全滅と。伊達さんは1994年にセミまで来ています。その15年後、本戦を目指す元セミファイナリスト。なんかスゴイ話だ。

■2003年秋〜

 USOPENを優勝してベルギーに凱旋したエナンを待っていたのは、事もあろうにドーピング疑惑騒ぎだった。キムパパが、ここ最近のエナンの筋肉増強は異常だという意味の発言をした。これにベルギーのテニス関係者(名前は忘れた)が同調した発言をして、メディアが取り上げたというわけ。思えば些細なゴシップである。しかし世界のワンツートップを抱えたベルギーのメディアが、些細な事にも飛びつくのは想像に難くない。日本で例えるなら女子フィギュア界を取り巻く状況に近いか? しかしテニスはもっと世界的に規模が大きいし、ゴシッピーな世界である。ともあれドーピング疑惑を囁かれるほど、エナンの強さはアンチエナンのハナについたわけだ。ファンとして怒りは感じたものの、強さの証明でもあり、何とでも言えという気分だった。

 2003年の後半はエナンとキムのナンバー1争いが熾烈を極めた。グランドスラムを取ったエナンがナンバー2で、1つも優勝していないキムがこの時点でナンバー1。それでもエナンがナンバー1をゲットできるかどうかは秋の大会次第だった。
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2008年12月31日

エナン私的観戦記(15)

大晦日になってまで2003年の観戦記を書いているのは虚しいことなのだが、思い出されることがありすぎて終わらない。
2008年は私にとって「エナンが引退した年」として記憶される。

エナンは今年もベルギーのスポーツ大賞で何かキャリア大賞のようなものを受賞。ちゃんと会場に姿を見せ、カルロスの二人の息子もゲストに呼ばれ、三人で睦まじい姿を披露。すっかり少年になった長男のマニュエル君がエナンに答辞を送っていた。2002年ウインブルドンのセレス戦の時、カルロスの隣で昼寝していたことを思うと、感慨深い。
また、2018年のベルギー・オランダ共催サッカーワールドカップの親善大使みたいなものを引き受けたようだ。十年も先の話だ。その頃のエナンは、伊達さんのように復帰、してるわけないな。

■2003年 USOPEN

 今回はUSO観戦記。私が初めて現地に見に行った大会だ。観戦を決めたのは8月の初旬。USOはネットでチケットが取れ、その時点でも十分、席は残っていた。私が取ったのは女子クオーターが行われる9月2日と3日。8月に入ってからもアーサーアッシュ・スタジアムの外野席はかなり空いていが、なぜか取れた席は外野も外野、かなり上の方だった。あの時、私はエナンがクオーターファイナルに来ることを、まんず疑わなかった。だから迷いもせずクオーターの日程を選べた。
 この大会はウイリアムズ姉妹がそろって欠場。よってキムが初めての第1シード。エナンも初めての第2シード! クオーター山は当時第7シードのミスキナ。4回戦まで特に強敵らしい選手はなく、私はクオーター進出を確信して安心してニューヨーク行きの準備ができた。
 しかし。ニューヨークは3回戦から天気が怪しくなっていくのだ。3回戦の小畑戦は8月31日。これが雨でスケジュールが崩れ、夜にズレ込んだ。そのため11番コートになったが、この試合は日本時間9月1日の午前中にライブ中継され、私はこれを見てから出発した。


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2008年12月17日

エナン私的観戦記(14)

■2003年 ウインブルドン〜

 エナンのキャリアを区分けしてみる。
§第1期 1999年5月デビュー〜2001年フレンチでブレイクスルーするまで。16歳〜18歳(私はこの時期を見ていない)
§第2期 20001年フレンチ〜2003年フレンチ初優勝するまで。19歳〜21歳
§第3期 2003年フレンチ〜2004年ドバイまで。第1次全盛期。21歳
§第4期 2004年4月病に倒れる〜2005年。病気と怪我でフルに戦えなかった時代。21歳〜22歳
§第5期 2006年〜引退まで。第2次全盛期。23〜25歳

 第4期はフルに戦えなかったとはいえ、オリンピック金メダルとフレンチ優勝がある。第5期は2007年初の離婚を境にエナン・アルデンヌ時代とエナン時代の前半後半に分けることができる。特に後半が記憶にまだ新しい全盛期であるが、2006年はすべてのグランドスラムで決勝進出、ナンバー1でフィニッシュということで、私はこの2年と半は全盛期と言っていいと思う。

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 フレンチで初優勝を飾ったエナンの評価は、当然のことながら大きく変わった。“ハンドアップ・インシデント”の曰わく付きでセレナを破り、決勝で一方的にキムを下したことで、特にアメリカ及びキムファン方面からエナンに向けられる目は敵愾心含みのものになっていったと思う。チャンピオンは妬まれる。エナンは妬まれる側に入ったのである。


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2008年12月07日

エナン私的観戦記(13)

■2003年 フレンチオープン ファイナル

 6月7日、女子ファイナル。ふたりのベルジャンを祝福するかのような、雲ひとつない晴天だった。下馬評ではキムの方が有利だったようだ。それはWOWOWの勝敗予想クイズにも現れていた。1割ほどキムの票が多かった。

 ふたりの晴れやかな顔。21歳になったばかりのエナンと、翌日に二十歳の誕生日を迎えるキム。2001年のフレンチのセミで対戦した二人が、2年後にファイナルで向かい合う。その2年を思うだけで感無量のファイナル。
 接戦になるだろう。死にもの狂いの。セレナを下したその余韻は、まだ私の中に残っていた。だから勝てると思っていた。ただ接戦になった時、エナンの脆さが出るのだけがこわかった。
 接戦にはならなかった。この素晴らしいファイナルを素晴らしいと言うのは、エナンファンだけだろう。エナンの良さばかりが目立った試合だった。
 決勝なのに会場に張りつめた緊張感はなかった。入場したキムとエナンをあたたかな歓声が包んだ。決勝の舞台にウイリアムズ姉妹以外の二人がいるというだけで口元がほころぶ・・。というのは言い過ぎかも知れないけれど、会場にはエナンファンでもキムファンでもない人もたくさんいただろうし、ベルギー人よりもフランス人のほうが圧倒的に多いわけだし、それを思うとあのあたたかな歓声は、脱ウイリアムズ姉妹を喜ぶ拍手にも思う。どっちが勝っても祝福できる。そんな気楽さもあったのかなと、今は思うけれど。
 コイントス後の記念撮影。こんなににこやかに二人がカメラに収まったファイナルは、これが最初で最後である。

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2008年12月01日

エナン私的観戦記(12)

■2003年 フレンチオープン

 シードは第1セレナ。第2キム、第3ビーナス、第4エナン。ドロウの注目は、トップハーフに入るのはどちらか・・・で、エナンが入りましたと。このお見事なドロウ引きをしたのは、この大会で引退を表明していたマイケル・チャンだ。セレナ対エナンの決戦が最大の注目カードとなった。
 それまでWOWOWのの放送は4回戦のシュニーダー戦の録画放送のみ。杉山が同じトップハーフに入り、しかも勝ち上がった上に4回戦がセレナ戦ということで放送枠が大きく杉山に取られたのだ。ま、仕方ない。しかし、もっと見たかった、この大会のエナンの試合をひとつでも多く。放送途中で流れる今日のダイジェストを欠かさず録画。そのわずかなクリップが私の宝物だ。(その後、何度これを見直したことか。BGMが頭から離れないほどだった。)
 波乱は、その4回戦にあった。ビーナスがズボナレワに敗れたのだ。この試合の放送はない。しかし女子テニス史上、この試合の意味は大きい。
 4回戦のシュニーダー戦は1番コートだった。シュニーダーとの試合は、いつも面白い。この試合は3セッターだった。スコアボードで途中経過を見ていたと思うが、さほど心配した覚えはない。第3セットは62か63で、特にハラハラする場面もなかったと思う。クオーターはチャンダ・ルビン。この年のマイアミのクオーターで負けている。リベンジ魂が発動して、まず心配ないだろうと思われた試合、ストレートで無難に勝っている。
 クオーターの放送はなし。録画もなし。というのも他がもっと好カードだったからだ。ひとつはセレナ対地元の星モレスモ。そしてズボナレワ対ペトロワ。ロシアの新鋭対決ということで、私も楽しみにしていた。キムの相手はマルチネスだったから、WOWOWの選んだカードはセレナ対モレスモとズボナレワ対ペトロワ。これには納得していた。
 そのセレナ対モレスモの注目の一戦。前哨戦のローマでセレナを破ったモレスモに、今年こそはの期待は、また並々ならぬものがあった。しかし、その期待に冷や水を浴びせるセレナの圧勝。61、62だったか。ブーイングが起きる間すら与えなかった。モレスモの出来が特に悪かったわけではないと思う。セレナの出来が完璧だったのだ。まさにターミネーターの形相で、こともなげにモレスモの浮き球を叩き込む。次のエナン戦を語る上で、この試合は単なるセレナの圧勝では済まない。地元のヒロインを完膚無きまでに打ちのめしたことが、セレナにとって思わぬ不利な布石となった。


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2008年11月23日

エナン私的観戦記(11)

■2003年 ダイアモンドゲーム〜ジャーマンオープン

 2年目を迎えたベルギー・アントワープのダイアモンドゲーム。キムとエナンの二人が参加したのは、後にも先にも2003年だけだった。この大会で二人はセミで顔を合わせる。ファーストをキムに取られ、セカンドは劣勢から巻き返してタイブレに持ち込むが、結局ストレートで敗れた。キムに勝てない。。。オーストラリアン・オープンで何とかダベポを破ったものの、上位のウイリアムズ、キムには勝てないエナンだった。
 この敗戦後のカルロスの対応は厳しいものだった。しばらく独りにさせておいたそうだ。トップテンのアベレージプレーヤーであることで良しとするか、それともグラフやセレスのようなトッププレーヤーを目指すのか。それは君が決めることだと、エナンを突き放したそうだ。ライオンは崖から子を突き落とす。そんなことはしないと今では言われているが、それに近いと思う。選手なら誰でもトップになりたいと思うだろう。でも、なりたいと思うのと、なろうと決めるのとでは大きな違いがあると思う。エナンはこの頃、本気でそれを考えたのだろう。

 2003年はエナンがナンバー1に上り詰めた年だが、その輝ける戦績の口火を切ったのは、2月のドバイだった。

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2008年11月14日

エナン私的観戦記(10)

#WTAのイヤーエンドチャンピオンシップスは、ビーナスの初優勝で幕。なんでも3回目だか4回目だかの出場だったそうで、2003年以降、何しとったんじゃ? 今回もセレナは2回戦で棄権。イバノビッチも2回戦で棄権ということに。そしてクズは今年も予選敗退。クズはいつまでグズグズするつもりなのか。23時からガオラで生放送ということで、毎日第1試合を1時間ぐらい見ていたが、ズボナレワとヤンコの試合が多く、またサーフェスが若干遅いのか? ロングラリーが多かった。たしかに女子のベースラインからの打ち合いはパワーアップしている。ダウンザラインでコースを変えるのなんて当たり前にやっている。しかし、もうちょっと球種を変えるとか、高低つけるとかせんかい! と、見ていてもどかしい。

#「スマッシュ」最新号のレネ・シュタウファー氏の「グラフとエナン」という記事に、エナンについて、へ? という一文が載ってました。ベルギー人の記者が言うには「引退後の彼女、精神的にかなり落ち込んでいるんだよ」だそうです。ふーん。どこぞの記者かね。


■2003年 オーストラリアン・オープン

 シドニーから始まった2003年シーズン。ここで早速キムと当たり、ストレートで敗れる。これでキムとの対戦成績は2勝4敗か。ただ1年前と違ってセミでの対戦だったことが、ふたりの成長を物語る。今思えば、エナンに最後に勝ったのもキムなら、エナン・アルデンヌに初めに勝ったのもキムということになります。
で、その勝敗よりもっと驚いたのが、エナンの太ももの太さだ。写真を見た時、横倍か? と思うほど太くなっていたのだ。私はペラペラしたエナンが好きだったので、内心穏やかでなかった。オフにパット・エチェベリーとトレーニングを始めたとはいえ、1ヶ月かそこらでこんなに筋肉がつくなんて。
 で、オーストラリアン・オープンのドロウである。第5シードのエナンの山には、なんだあ〜? 第9シードのダベンポートがいた。第5〜8シードは、4回戦で第9〜12シードと当たるわけだが、また見事に引いたもんである。どーもエナンのGSドロウはいつもきびしいよなーと、この頃から感じていた。トップハーフがセレナとキム。ボトムにビーナスとエナン、ディフェンディングチャンプのカプリアティも入っていた。ちなみにこの時点でキムは第2シードになっている。
 エナンの1〜3回戦は楽勝だったが、その2回戦が昨年初戦で当たったクルニコワだった。おかげでWOWOWで見ることができたが、昨年のような盛り上がりは、もうなかった。エナンとクルニコワの差が、あまりに大きく歴然としていたからだ。それでも戦前、WOWOWの解説の遠藤愛ちゃんはクルニコワに“根拠はないがアップセットの予感”を予想してくれたのだが、そんなものは試合が始まって2ゲームで吹き飛んだ。まったく相手にならないのである。これじゃエナンの練習にもならんなと思った試合だった。



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2008年11月05日

エナン私的観戦記(9)

2008年のイヤーエンドチャンピオンシップスが始まりました。今年はガオラが全試合生中継。くそー、もう1年早く、それをやってくれれば。昨年の今頃は、夜中の2時からライブスコアボードにかぶりつき。どこそこのネットにライブストリームがあるという情報にありついては嬉々として、ワクワクドキドキ観戦したものだ。
ちなみに今年のメンツは、ヤンコビッチ、サフィナ、セレナ、イワノビッチ、デメ、クズ、ビーナス、ズボナレワ。ウイリアムズ姉妹が何年ぶりかの揃い踏み。セルビアとロシアとアメリカ人しかいないマスターズ。エナンもいなけりゃシャラポアもバルトリもいない。つまらんの。

■2002年 リンツ〜マスターズ

●イヤーエンドチャンピオンシップス前のティア2、リンツの大会でエナンはこの年2つ目のタイトルを獲得した。決勝の相手はアレキサンドラ・スチーブンソンである。この選手はまだ現役なのか? この決勝後、表舞台に出てきたのを見たことはない。
 私にとっては印象深い選手である。1999年のウインブルドンのセミファイナリスト。私はその前のフレンチのヒンギス対グラフでテニスファンになったばかりだったから、このウインブルドンは始めからNHKで見ていた。クオーターファイナル、当時シンデレラストーリーを地でいったドキッチとの十代対決を制し、セミでダベンポートに敗れた。同じく十代でセミまで勝ち進んだミリヤナ・ルチッチとともに将来を嘱望された選手である。何の因果か、この年大活躍した3人のティーンエイジャーはその後、低迷を窮めることとなる。
 そのスチーブンソンが、2002年のリンツの決勝まで勝ち上がってきた時は、何か唐突な感があった。しかし、この試合で久々に見たスチーブンソンは、やはり並の選手ではなかった。いわゆるバカ打ち系なのだが、そのボールの威力はウイリアムズ姉妹に匹敵する。サーブも強烈。順調に成長していれば、こわい選手になったのに。バックハンドは片手。ガタイも大きければスイングも大きいスチーブンソンの片手バックは、エナンのそれよりフラットなので、まともに当たれば威力はあった。が、まともに当たればの話。エナンのようなタメもなければ、器用さも持ち合わせていなかった。で、この決勝戦。63,61ぐらいで簡単に勝った。スチーブンソンは脚を痛めていて、第2セット途中でインジュリータイムアウト。いったんコートを引き上げ治療を施して戻ってきたが、その後はほとんど試合にならなかったような。

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2008年10月28日

エナン私的観戦記(8)

前のログのコメント欄でchikoさんが、2001年フェドカップのコンチータ・マルチネス戦のビデオリンクを教えてくれました。

Part1 http://www.megaupload.com/?d=YJOSS4II
Part2 http://www.megaupload.com/?d=CB0KBBOL

2001年のエナンは本当に身軽で、転がるボールを追いかけるワンコのようです。しかも大逆転。いや〜いい試合だった!

■2002年USOPEN〜スイスコムチャレンジ

 この大会も、エナン戦は4回戦まで放送がなかったのである。それまで話題の選手と当たらなかったせいもある。ナイトセッションに回ることもなかった。それにしてもWOWOWの放送カードのチョイスにはイライラさせられた。ナイトセッションに回るのは男子ではロディック、アガシ、サンプラス。女子ならウイリアムズ、カプリアティなどのアメリカ選手である。そしてデイセッションでも、これらアメリカ選手の試合がチョイスされる。そして日本選手。この頃のエナンの注目度が高くなかったのも確かだろう。夏のアメリカシーズンでも、大した結果は残していない。私もこの夏のシーズンは、モントリオールの大会でカプリアティに負けたな、ということぐらいしか覚えていない。
 このUSOのドロウ表を見直してみて驚いた。第1シード、セレナ。そのクオーター山に、またエナン(第8シード)が入っていた。ま、第1と第8が同じ山に入るのは、とてもありがちなことだけど。ちなみに第2シード、ビーナス。第3カプリアティ。第4ダベンポート。第5ドキッチ、おー懐かしい。第6セレス。第7キム。ということで、二人のベルジャンが後方に下がっていた時期だ。いったんブレイクした選手は、マークがきつくなって翌年が難しくなる。それに加えて、キムとエナンはまだまだ伸び盛りゆえ、プレイに安定性を欠いていた時期だと思う。それでも二人はコンスタントに勝ち星を挙げて、トップテンからはみ出すことは一度たりともなかったのである。
 そして4回戦の相手がハンツコバだった(当時はハンチュコバと呼ばれていたな)。人気ともども急成長のハンツコバと4回戦で当たるのは、正直イヤ〜な感じがしていた。前回のインディアンウエルズでは完敗している。ここは負けて欲しくないぞ! とリキが入る。
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2008年10月22日

エナン私的観戦記(7)

■2002 ウインブルドン

 5月30日に、ベルギーの雑誌HUMOに「ジュスティーヌ・エナンのフィアンセ、ピエールを捜して」という記事の翻訳が出た。それはピエールのロングインタビューで、彼が出場したアマチュアの大会で優勝して、そのプレゼンターがエナンで、そこで一目惚れして恋に落ちた経緯とか、家事はほとんど彼がこなしているとか、料理はエナンより上手に出来ることだとか、エナンに料理させるといつもチキンとカリフラワーだとか・・・いろんなことが語られていた。これによると二人が出会ったのはエナンが16歳の時。ピエールは2つ年上だ。エナンは18の時、家出しているので、2年ほど一緒に暮らして結婚ということになる。見た目にまだ幼さを残したエナンが二十歳で結婚というのは、余計なお世話ながら早すぎると思った。家族との断絶がそうさせたのかと、遙かに年上の自分には想像し得ないエナンの境遇を想像し、何か痛ましいような感も持った。でも、とにかくピエールがハンサムな青年だったのと、エナンに劣らず細く、お似合いのカップルだったので、その点はオッケーだった。エナンという名前が好きだったので、ファミリーネームがどうなってしまうのか、実はそれが一番気になったのだが。

 ウインブルドン2002は、サッカーのワールドカップともろにかぶった。日韓共催だったから尚更だ。その余波でウチもDVDを購入。
 エナンは第6シード。クオーターは第4シードのセレス。ちなみに第1シード・ビーナス、第2シード・セレナ、第3シード・カプリアティ。というわけでアメリカ勢がトップ4を占め、ダベンポートは怪我で長期離脱中、キムは第5シードだった。ドロウ表を見るとヒンギスもいない。足の怪我でもうボロボロになっていたのだ。第7シードにドキッチがいて、おー懐かしい。
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2008年10月13日

エナン私的観戦記(6)

エナンは右膝の手術をし、今リハビリテーション中だそうです。
ツアーの方はヤンコがナンバー1になり、3大会連続優勝と絶好調だそうです。1年経って、この変わりよう。隔世の感すらします。

■2002 アメリカハードコートシーズン〜ローランギャロス

 ダイアモンドゲーム後、エナンの結婚の日取りが公表された。11月16日と。当時、エナン情報のエクスクルーシブはもっぱらwww.henin.netから仕入れていた。(この時の長いインタビューがあって、わりと重要なのでそのうち訳したいと思うが)

 春のアメリカ・ツアーはさんざんだった。
 インディアンウエルズでは4回戦でハンツコバにストレートで負ける。ハンツコバはそのまま決勝に行って、ヒンギスを破って初優勝。当時、もっともホットな選手であったのは確かなのだが、ナーバスになって、いいプレイが出来なかったとポストマッチインタビューでエナン。記者から「格下の選手に、どうしてそんなにナーバスになるの?」と聞かれて、「それが私の問題。それに私もまだ若いし」と答えたエナン。大会中にハンツコバと練習する機会があって、その時、彼女のプレイがとてもよかったのでナーバスになってしまったとか言っている。ほんとに心臓が強いんだか弱いんだかわからん選手だった。
 マイアミでは初戦でイスラエルのスマシノワに逆転負け。もちろん試合は見ていないが、エラーの数が103だったか。いったいどんな試合だ? どこかの記事では、error festival みたいな見出し。マイアミがエナンの鬼門であった理由は、後に知る。母の命日がこの時期で、気分的に落ち込むのだと。
クレーシーズンが待ち遠しかった。

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2008年09月19日

エナン私的観戦記2001-2008(5)

ついぞエナンの来ることのなかった東レパンパシは、今年は季節を1月から9月に移して、なかなかの豪華メンバーで開催。ガオラで見たクルム伊達&藤原里華のダブルスが面白かった。伊達さんてなんなんでしょう、つい見てしまう何かがこの人にはあります。

■2002年オーストラリアン・オープン〜ダイアモンドゲーム

2002年のエナンのシーズンは、ディフェンディングチャンピオンのゴールドコーストから始まった。やや波乱含みのスタートであった。初戦ハンツコワ、ファーストセットを取られてから逆転勝ち。当時のハンツコワはビジュアル系として、すでにコアなファンには注目されていたと思うが、ツアーレベルではまだまだ下っ端だった。決勝ではビーナスと当たって57,26で負けた。続いてエナンはシドニーに出場。ここではクオーターでキムにストレートで敗れる。キムにあっさり負けるのがなんとも悔しい。この頃からキムへのライバル意識が私の中にぐんと芽生える。

 オーストラリアン・オープンは1月明けて、あっという間にやってきた。エナンは第6シード。この時、仕事中にスコアボード観戦をしていたかどうか覚えていない。
 ドロウが出た時から注目されたのは、初戦のクルニコワ戦。この試合、いろんな点で対照的で本当に面白かった。落ち目の元トップテン、でもまだまだバリバリのアイドル。片やブイブイ伸び盛りのホープ、しかし色気も愛想もないエナン。プレイスタイルも対照的だった。フラットで軽く流し打ちのクルニコワ。グリグリトップスピンのエナン。小麦色に焼けた肌でモデルのようなクルニコワに対して、まだ青っちろい肌で口の周りに出来物をこしらえ、キャップの下から目をぎろぎろさせたチビっ子ギャングのようだったエナン。この年のエナンのウエアは昨年と同じルコックで、この時は珍しく青いキャップを被っていた。まだ身体が細かったが、それでもだいぶウエイトトレーニングをしてきたらしく、サーブを構える時の右腕の前腕は血管が浮き出るほどゴツゴツしていたのを覚えている。サーブはまたマイナーチェンジ。安定感に欠く。最速は173キロぐらいだった。

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2008年09月08日

エナン私的観戦記2001-2008(4)

USOPENの男子セミファイナルと女子決勝が行われるはずだったスーパーサタディ。ハリケーン・ハンナさんの影響で、ニューヨークは大雨。男子セミのナダル対マレーはサスペンデット、女子ファイナル、セレナ対ヤンコビッチは順延に。女子の方は、勝った方がナンバー1ということで、大戦国時代のWTA、ひとつカタがつくかといったところです。。。

■2001年USOPEN〜年末■

●USOEN
 USOPEN前のCNNスポーツイラストレイテッドの記事を見直してみたら、スポーツライターのリチャードという人が、優勝候補のダークホースにエナンを挙げている。優勝候補はダベンポート。他の人は優勝候補ビーナスウイリアムズ、ダークホースにショーネシーとデメンティエバ。ビーナスとデメは2008年でも優秀候補に挙げられるぐらいだから、息が長いのう・・。
 この頃はまだWOWOWとNHKBSのアナログチャンネルにしか加入していなかった。そのためかどうか定かでないが、USOPENでは4回戦までエナンの試合の放送はなかった。2回戦ではシュニーダーに3セッター。シュニーダーという名前はなんとなく知っていたが、よくは知らなくて、この試合で手強い選手なんだと認識。3回戦では、あのフェデラーの彼女バブリネックさんと対戦。今からすると、見たかった試合である。試合の合間の「今日のダイジェスト」を必死にビデオテープに録画していた時代だった。
 そして4回戦はセレナだった。この頃はというか、この頃から怪我の多かったセレナは当時、第10シード。それでも出てくれば強い選手であることは十分わかっていたので、このドロウを見た時から4回戦が怖かった。それに意外なことに、これが二人の初対戦。それは日曜日のデイセッションの遅いカードだった。日本時間の深夜遅くの開始。この時のオフィシャルサイトにライブスコアボードがあったかどうか覚えていない。とにかく、見られないので寝た。早朝起きて、パソコンをアップ。ドキドキしながら開けたレザルトページで飛び込んできた57、06のスコア。ギョッと目を疑い、間違いじゃないかと凝視し、ガックリ。初めて見るベーグル。しかもファーストセットを57まで競っていながら、セカンドでコテンパというのがショックだった。この試合は、録画放送されたのを見た。今大会初めて見るエナンが、もう結果の出ている負け試合。これほどつまらないことはない。それでも放送時間前には家に帰ってオンタイムで見た。



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2008年08月23日

エナン私的観戦記2001-2008(3)

USOPENが近づいてきました。
セレナが何年ぶりかの久々の第4シード。有力な優勝候補がいない中、オッズによるとセレナが優勝候補筆頭のようです。男子はナダルが初めてのナンバー1シード。バリバリの優勝候補です。

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●2001ウインブルドン決勝

 この年のウインブルドン女子決勝は、雨で延びて日曜日になった。この時はたしか男子のセミ、ヘンマン対イバニセビッチの試合が度重なる雨の中断で終わりそうで終わらない。第5セットまでもつれにもつれていたが、そのセミの残りを土曜日に消化したんだったと思う。途中ヘンマンがリードする場面も多々あり、ウインブルドンは狂気の坩堝と化していた。結局イバニセビッチ対ラフターとなった男子決勝は、月曜に行われるという異例の年であった。
 女子決勝は、連覇のかかるビーナスとウインブルドン初勝利のまま決勝まで来たエナン。今思えば年齢は2つしか違わないし、今となっては同世代にくくられる二人だが、この時はトッププレーヤーのビーナスとブレイクしたての若手エナンという対照で語られていた。

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2008年08月17日

エナン私的観戦記2001-2008(2)

本日はオリンピックの決勝でした。
こんなことになっています。デメ、オメ。
Singles - Gold Medal Match
(5) Elena Dementieva (RUS) d. (6) Dinara Safina (RUS) 36 75 63

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●2001ウインブルドン・セミファイナル 

 カプリアティ戦。このビデオは2003年頃までヒマがあれば見た。エナンが世界にその存在を知らしめた初めての大アップセット。最初のエポックとなった試合だ。フレンチのセミ進出も評価される戦績だが、その評価はこのウインブルドンのセミがあってこそ意味を持った。
 グランドスラムのセミファイナル進出というのは、選手にとって、とても輝かしい実績に数えられる。セミ進出があるかないかで、その後の評価が分かれるというぐらい大きな舞台だと思う。そのグランドスラムのセミに、2大会連続進出できた時点で、エナンはエリートプレーヤーの枠組みにエントリーしたと思う。
 久しぶりに見直して、思わず笑ってしまったことがある。この時、エナンは左手の薬指に婚約指輪をしていたのだが、それ以外にも細いネックレス、右の手にブレスレット、左の耳だけピアス。決してハデハデしいものではなかったが、ジュエリーエナンだったのである。
 ウエアはルコック。どんな契約をしていたのかわからない。フレンチオープンからエナンのルコックは始まっているが、その時のキャップは会場の売店で売っている白いヤツ。たぶん20ユーロぐらいの。ウインブルドンではウインブルドンのロゴもついていない真っ白のキャップで、今思うと、どこで手に入れたのか思ってしまう。そしてシューズはナイキを履いていた。ルコックはもちろんシューズも作っていたわけだから、ウエアだけの契約だったのか。なんにしろ、私はこの時のエナンのウエアが好きだ。襟つきで、その襟がフレンチでは紺だったが、ウインブルドンでは白かった。
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2008年08月12日

エナン私的観戦記2001-2008(1)

エナンが引退して3ヶ月。エナンのいない日々に、だいぶ慣れてきたところです。エナンを応援し始めた2001年からの思い出を書きます。もう二度とエナンのように夢中になれる選手はいないでしょう。
7年前に出会ったベルギーの女子プレーヤー。それは最高のテニスプレーヤーになりました。ファンになれたこと自体が大きな喜びであり、ラッキーでした。記憶に残る場面、すべてを書き記しておきたいと思います。

*スコアなど事実関係で間違いがあるかもしれません。発見された方はご指摘ください。随時、訂正していきます。

■2001フレンチオープン
 2001年5月28日、フレンチオープン1回戦。私はエナンを見つけた。日本の浅越選手との対戦だったため、WOWOWで放送されたのだ。(ずいぶん後で、エナンファンから送ってもらったビデオで見るとダイジェスト版だったから、ライブ放送ではなかったのかもしれない。)当時は、なんとなくヒンギスファン。元々テニスを見始めたきっかけは1999年フレンチのグラフ対ヒンギス。そこでグラフファンになったのだが、ウインブルドン後に引退してしまったため、なんとなくヒンギスを応援していた。ダベンポートやカプリアティやウイリアムズ姉妹にドカンドカン打ち込まれながら巧妙なテニスで対抗するヒンギスが好きだった。そんな中で見つけたエナン。

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